一年間の読書量を数えたことがある。
ここ何十年かはほぼ一緒で。
文庫本、ハードカバー等々であれば。
100冊前後。
各新聞、週刊誌、月刊誌も読んでいるが。
それはカウントせず。
本人はまだまだ読み足らず。
もっともっとと思うも。
目玉が酷使に耐えられず。
これくらいが限度かなと思う。
何十年も読んでいるのだから。
蔵書もたくさんあるかと問われるが。
ほとんど持っていない。
手元に残さないからである。
残したとしても。
読み返す本など滅多にない。
これは。
以前にも書いたと思う。
何故、こんなことを書いたかと云うと。
話題のタブレット型コンピューター。
書籍だけで。
何万冊もストックできると謳う。
こんな阿呆な謳い文句に。
踊らされている人を想像するのである。
例えば、退職を前にした人が。
今から趣味を見つけて楽しむぞ!
所詮、書籍をストックしたところで。
物欲を満足させるだけで読まないな。
タブレット型コンピューターを手にしたところで。
人は一生涯にどれだけ本を読めるか?
自慢するほどではないが。
それなりに読んでいると思うのである。
文庫本やハードカバーほど。
読むに便利なものはない。
読み返したい箇所を探すために。
画面に人差し指を左右に振りますか?
こんな新しい機器を手にしたのだから。
きっと読んで行くぞ!
賢明な御仁はきっと。
高いお勉強料を支払ったと実感なさるのである。
明治の文人、芥川龍之介は。
一生で読める本の数が2万冊も満たないことに。
多大なショックを受け。
多いに嘆いたのである。
消費者が飽きる前に。
次期モデルは開発されるのだが。
おそらく操作速度の快適性と。
軽量化に尽きるであろう。
日頃、活字を読む機会の少ない人が。
文明機器を手にして蔵書を増やしても。
読まなければ。
無意味なのである。