1月17日 午前5時46分。

毎年ながら。
この日は忘れられない。
普段は全く意識しないのに。
アカンね、思い出してしまう。

それでも。
記憶は都合良く甘美なものになってしまっている。
嫌な記憶は忘れたいんやね。

当時。
私の住んでいた地面は震度7
ドッカンドッカン揺れた。
近所の高速道路はドミノ倒しみたいに倒壊。
何も出来ずウロウロするだけだった。

悲しむ訳にも行かず。
かと云って。
災害時に何を規範に優先するかも分からず。
思うがママに動いたんだけれど。

“果たして、それで良かったのか?”

今日だけは。
これらのことを。
今後も自問自答したい。

強烈な印象の1つに。
震災ルックで25km先の大阪に辿り着くと。
まるで何事も無かったように。
背広姿の人達が闊歩する都市だった。

怒りを憶えながらも。
「ま、そんなもんやわな」
と、納得してた。

ただ。
地元の被災地に帰宅するのが苦痛で。
ほぼ毎晩、大阪で飲んで帰った。
現実から逃げ出したかった。

それから12年。
齢も重ね、経験も踏まえ、分別も付くようになったと思うけれど。
この時の体験が苦々しく。
今も心の澱(おり)となって沈殿している。

だけど。
私の気持ちは揺るぎない。
何年でも続けて思い出すべきだ。
語り伝えるべきだ。

こればかりは体験した人しか分からない。
体験して初めて他人の痛みを分かる気持ちになる。

@体育館に遺体がころがり。
@それらの遺体に知人がいないことを祈り。
@自分が心配されている身とも知らず。
@何事かをしたような気持ちになっていた。

1.17 黙祷。
1.17 合掌。