独楽回し。

昨日、外回りの時に小学生数人が独楽回しをしていた。
正月らしいこの遊びも。
最近は見なくなった。

私が小学生の頃は。
血道を注いで上手くなるよう精進したもんだ。

独楽を回している一人が顔見知りだったので。
「オッ、独楽回しか。ちょっとやらせて」
と、お願いした。

その子は胡散臭そうな顔をしながら。
自分の持っている独楽を貸してくれた。

「サンキュー!!」
と、云いながら。
独楽に紐を巻くと。

「オッチャン、紐巻くの早いやん」
これが一発目のショックだったようだ。
「エッ?こんなん初歩やで」

右手に独楽を握り。
「ほんなら、これは?」
独楽をヒョイッと投げて、手に乗せた。
「オォォーーーー」
歓声があがった。

もちろん調子に乗って。。
「ほんじゃ、もう一発!!」
独楽の綱渡りを見せてやった。

それだけで。
先ほどの胡散臭い眼は消え失せた。
「もっと見せて!、見せて!!」
「そやなぁ、まだ技はあるけど今日はこれまで。また今度な」

数年ぶりに独楽を回したけれど。
身体は憶えてますねぇ。
一度目は失敗しても。
二度目には成功したもの。

小学生の頃。
独楽鬼やら、独楽喧嘩やら。
独楽の技を競い合ったことが思い出される。

その頃は。
ひとつの技が出来ると嬉しくて嬉しくて。
忘れないように何度も何度も練習した。
もちろん学校で威張るためだった。

今の私には独楽のイメージなんて。
“回ってないと立っていられない”
と云う。
現代日本人の働く姿にしか見えないけれど。
当時、そんなことは知ることもなかった。

現在、独楽がどこで売られているのか知らない。
当時は駄菓子屋だった。
凧、べったん(メンコ)、独楽等々。
駄菓子屋の豪華品には憧れと畏怖があった。
(おいそれとは買えなかったし・・・)
そして、それらはキラキラ輝いていたなぁ。

些細な玩具から導かれた昔の記憶。
走馬燈のように次々に表出した。
ほんの数分後には。
もう色褪せてしまったけれど。

昔を思い出す貴重な体験だった。