18年前の震災では。
復旧復興に勢いがあった。
東西の主要幹線が切断されたのだから。
当然と言えば当然だった。
更地にするのもアッと言う間で。
次々に新築の家が建ち始めた。
当時は終日埃と煙が。
街全体を占めていた。
湾岸部では埋め立て地に瓦礫が置かれ。
それを燃やしていたのである。
たった20km離れた大阪では。
何事もないような状態だった。
街には背広姿の会社員が。
普通に鞄を持って歩いていた。
芦屋の埋め立て地に仮設が出来たり。
HAT神戸への高齢者の移転では。
陸の孤島に老人を追いやるのか。
そんな記事も書かれていた。
陸の孤島ねぇ~。
カメラの入る避難場所がもてはやされ。
その隣の避難場所はそのままであった。
今ほどの情報網も確立していなかったので。
人気のある?避難場所では在庫の山積みであった。
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先日の岩手の被災地を走りつつ。
阪神淡路大震災当時を思い出した。
・・・に、比べて。
二年以上経った被災地の沿岸部には。
いったい何が進んでいるのか。
ほとんど分からないことが。
ぼんやりと分かった。
それが被災地を弾丸で。
走り回った感想である。