老いて何をか語らん。

釣りでも旅行でも。
行く前の準備段階がとても楽しい。

小学生・中学生なら遠足前の気分といっしょ。
リュックの中に何を入れようか、とか。
おやつは許容金額内に何をどれだけ買っていこうか、とか。
お弁当はリクエストの品を作ってもらえるのか、とか。
興奮して寝付けなくなる。

大人でもいっしょである。
少々違うのは、いろいろ予習をするようになる。
例えば、釣りならば。
季節、時期、時間、場所で何を狙うかを調べる。
机の奥から地図、資料、ヒットルアーを引っ張り出してくる。
そこで。
「アーでもない、コーでもない」と悩む。・・・これが楽しい。
オツムに貯まっている経験値をフル回転させる。・・・これも楽しい。

もちろん。
坊主なんて言葉は一切浮かばない。
もう、ウホウホの大漁なのである。
もしくは、納得いく釣果と釣法が完成されているのである。
オツムの中では・・・。

では何故、現場へ行くのか。
その確認作業である。
予習通りなのかどうかを確かめに行くだけなのである。
しかし、概(おおむ)ね予想通りにはならないものである。
待っているのは、大漁でも納得いく釣法でもない。
坊主、ライントラブル、寒さに震える、ルアーを損失する・・・・。
散々な釣行の連続なのである。

帰路に付くときは、肩をガックリ落とし、
悔しい思いと、ズタズタの心を引きずって呟くのである。
「チキショー、もう止めようかぁ・・・」

しかし。
人は忘れる動物である。
翌朝はもう空を見てソワソワするのである。
雨が気になり、風が気になるのである。

そして、いそいそと準備するのである。。
次の予習が楽しいのである。
天候を調べ、潮汐(ちょうせき)を確認し、糸を巻き直す。
新しい釣法をどこかで仕入れてくる。
その代償に、片手には値札の付いた新品を握っている。

一見すると愚行(ぐこう)としか思えない事が。
散々な結果の積み重ねが。
楽しいと思う限り続けられるのである。
何故って?
趣味だからである。

でも、考えてみてよ。
こういうことが全く無かったら。
“老いてからいったい何を語れば良いんだろうか?”
“僕ちゃん、お嬢ちゃんに何を語れるのだろうか?”
・・・そう思わないか?

ということで。
“老いてから何かを語る事ができるように”
今から確認作業で垂水へ行ってきます。

釣果報告は今夜か明日に。

早めの更新でした。