一年。

松本さんがロッジを引退されてからは。
1ヶ月から2ヶ月に一度は。
飯山のご自宅に電話していた。

いつもいつも。
話題があるわけではなかったが。
それでもご連絡申し上げていた。

あるときは。
「ご無沙汰してます。調子どうですか?」

また、あるときは。
「若い男の手は必要ありませんか?」

    □

松本さんはいろんなご返事をしていた。

「こっちはロッジと違って寒いんだよ」とか。
「近所にバイトに行ってるんだよ」とか。

    □

そそっっかしいのは昔からだったので。
都度、近況を知るために。
会話の中でちょとだけカマを入れてみると・・・。

「実は転んで骨折したんだ」とか。
「近所の人が良くしてくれるから大丈夫」とか。

自身の話しは避けたがってたんだけど。
それでも。
全く話さないわけではなかった。

    □

あるときは。
「親類と酸ヶ湯温泉に行くんだ」とか。
「久しぶりに旅行に行くんだ」とか。

今から思えば。
娘さん達との水入らずの旅行だったんだろう。
嬉しそうに話していた声を思い出す。

    □

「あなたは結婚のことをどう考えてるの?」
「松本さん、武士の情けでござる」
「聞き飽きたわよ」
「うなだれて聞く覚悟はありますから」
「一度、こっちに来なさい!」

そんな会話もあった。

    □

ロッジの名ばかり幹事だったので。
堀さんが亡くなった時の連絡をしたのも。
私だった。

すでにご存じかと思っていたが。
会話の内容からそうではないと知った時には。
思いっきり深呼吸してから。
事務的に経緯を話したこともあった。

電話口からむせび泣くのを。
我慢している松本さんの声も憶えている。

    □

連絡するのは。
ほとんどこちらからだったけど。

それでも一年に一度は。
松本さんから連絡があった。

毎年、春の味覚として。
イカナゴくぎ煮
を送ったときには。

何十年と欠かさずに。
毎年お礼の電話をもらっていた。

    □

去年も同じように。
イカナゴくぎ煮
を送ったのだが。

一向に連絡がなかった。

同じく。
こちらから連絡しても。
受話器に出る松本さんはなかった。

ヘンだとは思っても。
それだけで済ませていた。

    □

敏感に感じ取っていればなぁ。。。

    □

松本さんとの電話口での会話は。
去年の3月だったかと思う。
とても苦しそうな口調だった。

「大丈夫なの?」
「絶対に人に云わないでね!」

苦笑混じりの声だった。

    □

末期の病だと知ったのは。
その一ヶ月後だったか。

あの時、飯山まで走っていれば。。。
何度、思っただろうか。

    □

5月20日、命日。

   合掌。

    □

「ロッジ」欄、更新。
「旅行」欄、また更新。