松本さんがロッジを引退されてからは。
1ヶ月から2ヶ月に一度は。
飯山のご自宅に電話していた。
いつもいつも。
話題があるわけではなかったが。
それでもご連絡申し上げていた。
あるときは。
「ご無沙汰してます。調子どうですか?」
また、あるときは。
「若い男の手は必要ありませんか?」
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松本さんはいろんなご返事をしていた。
「こっちはロッジと違って寒いんだよ」とか。
「近所にバイトに行ってるんだよ」とか。
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そそっっかしいのは昔からだったので。
都度、近況を知るために。
会話の中でちょとだけカマを入れてみると・・・。
「実は転んで骨折したんだ」とか。
「近所の人が良くしてくれるから大丈夫」とか。
自身の話しは避けたがってたんだけど。
それでも。
全く話さないわけではなかった。
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あるときは。
「親類と酸ヶ湯温泉に行くんだ」とか。
「久しぶりに旅行に行くんだ」とか。
今から思えば。
娘さん達との水入らずの旅行だったんだろう。
嬉しそうに話していた声を思い出す。
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「あなたは結婚のことをどう考えてるの?」
「松本さん、武士の情けでござる」
「聞き飽きたわよ」
「うなだれて聞く覚悟はありますから」
「一度、こっちに来なさい!」
そんな会話もあった。
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ロッジの名ばかり幹事だったので。
堀さんが亡くなった時の連絡をしたのも。
私だった。
すでにご存じかと思っていたが。
会話の内容からそうではないと知った時には。
思いっきり深呼吸してから。
事務的に経緯を話したこともあった。
電話口からむせび泣くのを。
我慢している松本さんの声も憶えている。
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連絡するのは。
ほとんどこちらからだったけど。
それでも一年に一度は。
松本さんから連絡があった。
毎年、春の味覚として。
「イカナゴのくぎ煮」
を送ったときには。
何十年と欠かさずに。
毎年お礼の電話をもらっていた。
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去年も同じように。
「イカナゴのくぎ煮」
を送ったのだが。
一向に連絡がなかった。
同じく。
こちらから連絡しても。
受話器に出る松本さんはなかった。
ヘンだとは思っても。
それだけで済ませていた。
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敏感に感じ取っていればなぁ。。。
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松本さんとの電話口での会話は。
去年の3月だったかと思う。
とても苦しそうな口調だった。
「大丈夫なの?」
「絶対に人に云わないでね!」
苦笑混じりの声だった。
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末期の病だと知ったのは。
その一ヶ月後だったか。
あの時、飯山まで走っていれば。。。
何度、思っただろうか。
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5月20日、命日。
合掌。
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「ロッジ」欄、更新。
「旅行」欄、また更新。