一年後。

去年の東日本大震災
地震の時は外回りのお仕事中で。
何も知らなかった。

帰店後に電話が鳴り。
受話口からは関東に住む妹から。
息せき切った声が聞こえた。

「私たち大丈夫だから」
「???」

妹に落ち着いてもらい。
何を話してるのかを。
訊ねなおした。

「大地震があったの!」

震源地が東北であるのだと。
そんな出来事を知った時刻が。
午後16時を回っていた。

東北には友人が何人かいるが。
震災経験者の私はこう思った。
もう連絡の方法が限られている。

電話はとっくに制限されているだろうし。
友人のメアドも知らない。
震災被害の詳細も分からない。

「先ずは落ち着いて行動すべし」

友人に連絡を取るのは。
翌日の早朝(私の仕事時間)と決め。
それまでに知り得る情報収集を始めた。

震災の被災地域よりも。
他地域の方がよく震災状況が分かる。
これは経験値だった。

先ずはノートを引っ張り出し。
時系列順に震災の内容を書き出し。
被害状況を片っ端から書き出した。

始め被害予測を大きく見積もる情報はなく。
ちょい出しで徐々に大きくなるのも。
経験値でオツムに織り込んでいた。

深夜も深夜。
こんな時間は電話がつながる。
それも被災したときに学んでいた。

だから。
相手への迷惑など考えず。
電話して安否の確認をした。

地震後すぐなど。
興奮しているので寝つけるはずなどない。
ましてや余震も多いのである。

友人宅の電話番号を押し。
コールが何回か鳴ると。
まんま寝起きの声が聞こえた。

「寝てたんかいな?」
「えぇ・・・」

笑いながらお詫び申し上げ。
すぐさま本題に移った。
友人家族の安否と現在の町の状況。

「家族は大丈夫ですが停電で。
 どこがどんな状態なのか分からない」

やはりそうだった。
情報がない状態は想定内だったので。
こちらの知り得る情報を手短に話した。

「太平洋側が津波でやられてる。
 おそらく死者だけで数万人規模になる」

またこの時間に電話すると話して。
電話を切った。
地震発生の翌日だったか二日後だった。

友人達は無事だと確認したのだが。
手助けする方法が思い浮かばない。
逐次の状況を訊いて判断することにした。

何日か経ってくると。
メールでのやりとりも可能になった。
これは電話より手っ取り早い。

友人達の住む地域は。
どうやら水と火は使える状態なのだが。
物資が届かないので食品が品薄だった。

その頃にはカセットコンロやら。
震災グッズが関西でも手に入らなくなり。
オークションでは値上がりしていた。

東北の被害状況も甚大だと。
友人達にも知ることとなり。
悲しい気持ちであっただろうと察した。

・・・が。

今できることを最優先に考え。
友人達には外から分かる情報を流しつつ。
流通状況を毎日確認していた。

と同時に。
食料品をかき集めていた。
男の考える第一番のカップ麺である。

送っても一便目はどうなるか。
予測が経たないので。
日持ちするよう考えたのだ。

クロネコが一番に開通したので。
すぐさまカップ麺を箱に詰め。
近所の取次所から送り出した。

家族の人数×朝昼晩×7日間。

途中で無くなっても仕方ないと思ったが。
翌日、翌々日にはそれぞれ届いた。
これは日本の誇るべき道徳と矜持であるな。

ひと種類では飽きるだろうと。
何種類かの麺を混ぜたのだが。
後日になってから友人のブログを読むと・・・。

カップ麺ばっかり、ありがと!」

朝昼晩、カップ麺ばかり。
飽きてしまうやろ!

そんなシグナルに読めてしまい。
顔から火を噴く思いだった。

もちろん、罪滅ぼしにと。
知恵をウンウン絞りだして。
第二弾も一週間後に送り出した。

レトルトカレー
@レトルト中丼。
@レトルト親子丼。
@レトルト・・・。

「レトルトばっかり、ありがと!!」

18年前の震災経験者は。
どうも歴史から学ぶことを忘れて。
結局右往左往しただけだった。

そんな出来事があった。
ちょうど一年後が。
2012年3月23日の本日である。