円の中では見えなかった。

震災の続き。

地震が発生してすぐに。
情報を知ろうと努力した。

テレビはダメ。
ラジオもどこにあるか分からない。
(真っ暗で見えないのである)

車のラジオ情報ならと。
思い付いたは良いがキーがない。

情報らしい情報もないまま。
数時間が経っていた。

余震は続いたままで。
都度、ビビリながら用心した。

それでも。
腹が減っては戦は出来ぬ。

外にカセットコンロを持ち出し。
近所の人とお餅を焼いて食べた。

飲み水が無かったので。
外に置いていた缶ビールをゴクゴク。

ちょいと勢いを付けて。
地震の現実にのぞもうとした。

すっかり明るくなってから。
近所の情報が集まって来だし。

相当ドデカイ地震が。
襲ったのだと実感した。

オトンは店の近所で生き埋めになった人を。
ノコギリやら支え棒で助けていたし。

私は当時の会社の上司やら。
先輩後輩に連絡することで情報を聞いていた。

と同時に。
これからどうするのか考えていた。

情報が皆無なので。
判断する基準に迷った。

要するに。
円の中では見えなかった。

仕方なく出来ることから始めようと。
ノートと鉛筆を持ち出し。

思い浮かぶことを。
せっせと書き出して行った。

被災に遭った当事者に。
情報が来ないことを実感したのは。

24時間も時間が経った。
翌日の事だった。

おそらく世界中の人達が映像で見ているものを。
当事者は知ることが出来なかった。

電池用のラジオを探し出し。
終日、ラジオ情報を流し放しにしても。

「落ち着け!」

本当は違うのだろうが。
そんな言葉しか記憶にない。

その状況が見えない円の中の人達が。
一番に動かなくてはならなかった。

自分も被災者のはずなのに。
被災している人を助けなければならなかった。

そうだったのに。
何か出来たのではないかと自問するのである。

記者さんの中には。
十字架を背負ったのだと云う人もいる。

おそらく被災者なら。
一度ならず突き当たることだろうと思う。

だけど未だに私は。
解決の糸口も見えないままだ。

来年には見えるだろうか?
五年後には納得できるのだろうか?

そうこうしているうちに。
17年目に突入してしまった。